盛田隆二『二人静』の感想 | 緘黙ブログー不安の心理学、脳科学的知見からー
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問題を起こさない緘黙児は放置されるか?」という記事に追記をしました。3歳で「かん黙」があった園児5名の内60%が5歳までに「かん黙」を克服したという研究です。日本の調査になります。

先日図書館で盛田隆二著の『二人静 (光文社文庫)』という書籍を借りてきました。一読し終えたので読書感想文らしきものでもブログネタとして書き残しておきます。



≪感想≫
想像以上にシリアスな作品でした。場面緘黙症だけでなく、介護やDVの問題が克明に記されています。単なる文学作品というよりは社会派小説という方が適切かもしれません。しかし、シリアス一色に染まっているわけではないので、暗黒一色というわけではありません。

噂通り、きちんと「場面緘黙症」の文字が登場しますね。もし、緘黙女児が登場することを知らないで読んだら、驚愕してしまうに違いありません。

携帯メールでのやりとりは昔の私には効果的かもしれないなと感じました。中学生の頃に筆談でもいいよと言ってくれた子がいたのですが、プライドが高いので「喋る能力があるのに筆談だなんで、馬鹿らしい」と考えて応じませんでした。

しかし、相手が率先して声によるコミュニケーションを放棄し、別の手段を使えば応じた可能性が高まったと思います。というのも、緘黙症やその他言語的疾患をもたない人がわざわざ声という簡便な意思疎通手段を放棄してくれたのだから、応じないといけないという気持ちが高まったと考えられるからです。

あるいは、同じコミュニケーション手段を使うということが重要なのかもしれません。相手が声でこちらが筆談という非対称的な意思疎通はぎこちない感じがします。

作中の視点は認知症を患っている父の息子(町田周吾)と緘黙児の母親(乾あかり)になっています。したがって、作品に登場する緘黙女児の心情はあくまでも外から見た推測であるという点に注意が必要です(ただし、直接的な感情発露場面を除く)。もしかしたら、緘黙児視点で小説を書くとまた違った書き方になっていたかもしれません。

○追記(2013年6月1日):緘黙児、緘黙症の人、経験者視点でない小説にもメリットはあります。それは、緘黙の人は他の人からだとこう見えるということを書けるということです。

関連記事⇒宮部みゆき『スナーク狩り』に緘黙児

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場面緘(かん)黙症とは?
ある特定の場面(例.学校)でしゃべれなくなってしまう症状を場面緘黙症といいます。言語能力や知能には問題がないにもかかわらず、話せないのです。一般的に場面緘黙症の人は自らの意思で口を閉ざしているのではなく、不安や恐怖のために話せないとされます。中にはあらゆる場面で話せない全緘黙症になる事例もあります。
プロフィール

マーキュリー2世

Author:マーキュリー2世
性別:男
緘黙経験者で、バリバリの現役緘黙だったのは小学4年?大学1年。ただし、小学4年以前はほとんど記憶喪失気味なのでそれ以前も緘黙だった可能性あり。現在も場合によっては緘黙/緘動が発動します。種々の研究に言及していますが、私は専門家ではありません。ひきこもり/自称SNEP(孤立無業者)です。

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