河井夫妻の緘黙研究とフリージング研究の統合 | 緘黙ブログー不安の心理学、脳科学的知見からー
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問題を起こさない緘黙児は放置されるか?」という記事に追記をしました。3歳で「かん黙」があった園児5名の内60%が5歳までに「かん黙」を克服したという研究です。日本の調査になります。

とある方からの情報により、河井・河井(1994)の「行動の三つの水準」は学校での行動観察にもとづいて分析した結果であるとのご指摘を受けました。したがって、以前私が書いた、河井夫妻が「行動の三つの水準」を考案したのは思弁的なものであるとの記述は間違いだったようです。私が原本を確認しないまま記事にしたことが原因です。

*河井・河井(1994)とは河井芳文・河井英子『場面緘黙児の心理と指導―担任と父母の協力のために』(田研出版)のこと。

今回も原本を確認しないまま、記事を執筆するという愚を犯します。というのも、私はケチで『場面緘黙児の心理と指導―担任と父母の協力のために』は高いのです。アマゾンには中古ならありますが、どうせ買うなら1円(配送料を除く)の時が良いです。また、地元の図書館にもありません。したがって、原本を読まないまま話を勧めますが、なにか間違いがあれば遠慮なくご指摘ください。

なお、以下の記述で頻繁に用いたフリージングという表現はフリージング様反応と同義であると思ってください。本来ならばすべてフリージング様反応と表現しなければなりませんが、それだと読みづらくなるので、あえてフリージングとしています。

また、下にリンクしてある『河井らの緘黙本にある「行動の三つの水準」は間違っている?』や「不安が強い人ほど怒った顔を見るとフリーズする」、「緘黙人の緘動-フリージングの心理学研究より」をお読みいただいていることを前提に以下の議論を進めます。

●フリージング研究と「行動の三つの水準」の統合

以前の私の記事「河井らの緘黙本にある「行動の三つの水準」は間違っている?」はたしかに「行動の三つの水準」は思弁的な仮説であると推測したという意味で間違っています。しかし、だからといって、その考察が完全に間違っていることの根拠にはなりません。

というのも、以前の記事はあくまでも、フリージング研究が主張の大本であって、河井・河井(1994)の研究に関する間違った推測は補足的な論拠でしかないからです。補足的な論拠が崩壊してもまだフリージングに関する先行研究は生き残っています。したがって、以前の記事全体が間違っていることを示すのならば、フリージングに関する心理学の先行研究を否定する実験データを示すか、緘動とフリージングが全く別物であることを証明する必要があります。私にはとてもそんなことはできません。

しかしながら、だからといって、河井夫妻の「行動の三つの水準」が間違っているというのは短絡的なようです。とすると、ここはフリージング研究と「行動の三つの水準」を統合する必要がでてきます。弁証法です。しかし、弁証法に入る前に両者の違いを把握しておきましょう。

○量的 vs. 質的

フリージングに関する心理学の実験はフリージングを「足圧中心の平均値からの標準偏差」(Roelofs et al., 2010)等と定量化しています。

一方、河井夫妻の方は学校での行動観察が根拠ですから、質的なもので定量化していないと推察されます。たとえ定量化していたとしても、緘動していたのが何回または何分というように回数や時間を数えることぐらいしかできないと思われます。また、回数や時間によって定量化していたとしても、緘動の観察的定義が第三者的に再現できるかどうかという新たな問題も生じてきます(これは信頼性の問題という形で後述)。

○多少は動く vs. 全く動かない

実はフリージングに関する心理学の研究は多少動いていたとしても、身体の振動が少なくなったら、フリージング(様反応)だと主張しています。

一方、河井夫妻の方は行動観察に基づいていますので、それは視認で「動いていない状態」を緘動と定義していたと思われます。あるいは動作が気ごちない段階でも緘動といっていたのかもしれませんが、たとえそうだとしても、フリージング様反応の方が「症状」としては軽いと思われます。

ただし、河井夫妻が緘黙児が動いているのを見逃していたということも考えられます。なにせ、人間は正立している状態でも気付かない間に身体が揺れ動いていますから(身体動揺)。このことはフリージングに関する心理学的研究をお読みいただければ、序論にでも書いてあることだと思いますし、脅威刺激に対する身体動揺の減少こそがフリージング様反応なわけです。

●結論

以上から、河井夫妻は全く動けない状態を観察的(質的)に緘動、フリージングに関する心理学研究は多少動いていたとしても、身体動揺が減少していればフリージングと命名していると言えます。

以上の議論は一点に集約されます。すなわち、緘黙児の緘動と心理学研究でいうフリージングは一見すると同じにみえますが、その実、意味が異なるということです。両者を同一視すると、どちらか一方に肩入れする結果になりますが、同じではないということを踏まえれば両者を統合することができます。

私としては、仮に河井夫妻の「行動の三つの水準」とフリージングに関する研究が両方とも正しいのだとすると、場面緘黙児は緘動が生じる前に、まず脅威刺激に対して身体動揺の減少が生じ、それから後に河井夫妻のいうように全く動けなくなるという結論に行き着くことになります。

やはり、河井・河井(1994)の「行動の三つの水準」は少し単純化しすぎていますね。最下層の「動作・態度表出」は緘動とはいかないまでも、序盤から影響される可能性が高いですから。これは視認で身体動揺の変化を捉えることが難しいことに原因があるのでしょう。また、身体動揺の減少は社会的障害に陥ることはないでしょうから、河井・河井(1994)は完全に動けなくなって、社会的活動に支障がでてきた場合にのみ注目したと考えることもできます。

もっとも、場面緘黙児でもフリージング様反応、つまり身体動揺の減少が生じるかどうか実験的に検証しなければ、以上の考察は単なる思弁にすぎないことになります。また、そもそも河井夫妻のいう「動作・態度表出」の崩壊に、はたして緘動が入っているのかという点も確認しないことには分かりません。

●河井夫妻の観察結果とフリージングに関する心理学研究は本当に正しいか?

以上のお話は河井夫妻の緘黙児の観察結果とフリージングに関する研究が両方とも正しいことを前提としています。それでは、このどちらかまたは両方が間違っている可能性はあるのでしょうか?   

あります。

たとえ河井・河井(1994)の「行動の三つの水準」は行動観察に基づいた結果であるとしても、検査者間信頼性などを検討しなければ、主観であるとの批判を免れえないでしょう。したがって、どれだけ緘動の定義がはっきりしているか疑わしいです。さらに、「行動の三つの水準」が他の研究者によって再現されているかどうかもチェックしなければ、本当に確からしいか(≒正しいか)は分かりません。

*検査者間信頼性とは複数の検査者(ここでは観察者)同士の意見の一致度のことをいいます。同じ子どもの行動でも観察者によって「緘動である」という人と「いや、緘動じゃない」という人がいれば、信頼性が低いことになります。

一方、心理学の実験的研究では少なくともフリージングの定義に関しては非常に明瞭です。なにせ定量化していますからね。

しかし、心理学の世界では心理尺度で信頼性・妥当性を点検するのが慣例であるとしても、実験的な計測値の信頼性(検査者間信頼性や検査再検査信頼性)に言及している研究はあまり見かけません。実験の信頼性は実験者が熟練者であるという暗黙の了解のもとで成り立っています。したがって、厳密にいうならばいかにフリージングを実験的に引き起こしてもそれが信頼できると断言することはできません。

*検査再検査信頼性とは同じ試験をもう一度行って同じ結果がでるかということ。

また、再現性に関してはフリージングに関する先行研究も河井・河井(1994)と同様に疑問視されます。理化学研究所の小保方晴子さんのSTAP細胞をめぐる騒動が発生する2、3年前から(社会)心理学の分野で、オランダのティルブルフ大学のDiederik Stapel元教授がデータの捏造を、ミシガン大学のLawrence Sanna元教授とエラスムス大学のDirk Smeesters元教授がデータの改竄をしていたことが発覚しました。

さらに、社会心理学の教科書に載るような有名な実験やNHKのコロンビア白熱教室で放送された心理学的現象でも追試で再現できない場合があることが明らかになりました。

このような事情により(社会)心理学では「再現可能性の問題」がクローズアップされてきています(もっともこれは心理学に限らず、科学一般に当てはまることですが)。

*一応、心理学の名誉のためにいっておきますが、再現できる実験もありますし、再現性を増すための努力もされています。

このあたりの経緯に関しては「日本社会心理学会 春の方法論セミナー」というYouTube動画が詳しいです。(社会)心理学だけでなく、「統計的儀式」に頼る科学一般にひそむ不確かさという問題を非常に明瞭に示した、良い動画です。ただ、大学レベルの基本的な統計学の知識がないと少し難しい部分もあるかもしれません。

↓「日本社会心理学会 春の方法論セミナー」の動画は(1)~(5)までありますが、便宜的に(1)のリンクだけ貼っておきます。
https://www.youtube.com/watch?v=LSR6kJE7pCc

この動画は2014年3月17日に上智大学で行われた「日本社会心理学会 春の方法論セミナー」を録画したものです。社会心理学者の清水裕士助教授(広島大学)を司会として、社会心理学者の竹澤正哲准教授(北海道大学)、認知心理学者の大久保街亜教授(専修大学)、心理統計学者の岡田謙介准教授(専修大学)がスピーカーとして講演されました。

「日本社会心理学会 春の方法論セミナー」のタイトルは、ずばり「あなたの実験結果、再現できますか?:false-positive psychologyの最前線」です。

さて、フリージングに関する研究や河井夫妻の行動観察の結果を再現できますか?と問われたら、自信をもって「はい、再現できます」といえるでしょうか?

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場面緘(かん)黙症とは?
ある特定の場面(例.学校)でしゃべれなくなってしまう症状を場面緘黙症といいます。言語能力や知能には問題がないにもかかわらず、話せないのです。一般的に場面緘黙症の人は自らの意思で口を閉ざしているのではなく、不安や恐怖のために話せないとされます。中にはあらゆる場面で話せない全緘黙症になる事例もあります。
プロフィール

マーキュリー2世

Author:マーキュリー2世
性別:男
緘黙経験者で、バリバリの現役緘黙だったのは小学4年?大学1年。ただし、小学4年以前はほとんど記憶喪失気味なのでそれ以前も緘黙だった可能性あり。現在も場合によっては緘黙/緘動が発動します。種々の研究に言及していますが、私は専門家ではありません。ひきこもり/自称SNEP(孤立無業者)です。

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